隣人とろうそくについて
「冬の、百物語も風流じゃないか」
先輩はふいに云った。
土曜日の夕暮れ、私は特に用事もないので、先輩の家にお邪魔していた。
彼の部屋は築うん十年と経った木造建築の2階で、かぜがふくとよく揺れる。
1階では煙草屋が営業しているので、この部屋では、煙草を欠くということがなかった。
だるまストーブの上で暖められた薬缶がひっきりなしに鳴いている。そこから出る水蒸気で、部屋は水の中に沈んでいるようであった。
先輩の名は鹿島さんという。
彼は大学の頃の先輩で、社会人になった今でも交流のある数少ないうちのひとりだった。
「どこでやるんですか?」
「この部屋で怪談をして、隣の部屋でろうそくを消す」
「しかしそれじゃ、隣の住人に迷惑じゃありませんか?」
「彼は日曜日に仕事に行くんだよ、だからきっと大丈夫」
しかし、と言い淀む私に、彼は、
「百物語がやりたい」
――そう云った。
私が明日までに隣の部屋にろうそくを100本立てておくので、キミは50個の怪談を考えてきてくれ、と彼は云った。
外では給油車の耳に残るメロディが流れている。
「50個」
思わず私は繰り返した。
「50個も怪談なんてありませんよ」
「しかしそれじゃ、百物語ができないじゃないか」
「そもそも百物語はもっと大人数でやるものですよ、先輩は50個も怪談を持っているのですか?」
「ないが、やりたいなあ」
彼はそう云うと黙り込んだ。
私は煙草のお婆ちゃんがくれた夕刊に目を通していた。この町では不審な男の目撃が相次いでいるという。
窓の外はもう真っ暗で、窓には私たちふたりの、不健康な姿が写っていた。
「形だけでもやろう」
先輩はそう云うと立ち上がって、ろうそくを買ってくると云い、部屋を出ていった。
相変わらず薬缶は、甲高い声で泣き叫ぶ。
しばらくすると先輩は袋いっぱいのろうそくを持って帰ってきた。
「設置するぞ」
それだけ云うと彼は、隣の部屋の鍵を簡単に開け、中に入り込んだ。
先輩の部屋と同じ間取りの部屋がそこにはあった。しかし家具の配置が違うので、どこかちぐはぐな感じがする。
「なんだか、気持ち悪いですね」
私が云うと、
「なんだか、百物語って云う様相を呈してきたな」
と嬉しそうに笑った。
その後私たちは、百本のろうそくを隣人の部屋に並べた。それはひどく面倒なコトで、途中からふたりとも不機嫌になって、無言で作業を進めた。
先輩の家から出てしばらく歩くと男とすれ違った。私はどうして、その男が先輩の隣人のように思われた。
100本のろうそくが並ぶ家に帰るその男を、私は少しだけ不憫に思った。